■2014年6月の書き込み
書き込み数は14件です。 [ 1 2 ]
2014年06月26日(木) 
羽柴秀吉が三木城攻めの本陣とした付城で、美嚢川と志染川の間に面した山上に位置します。南西約4キロに別所氏の三木城を望むことができます。1578年7月、織田信忠がここに着陣して築城し、羽柴秀吉に引き渡しました。10月22日には別所方が襲来して平井山合戦が繰り広げられましたが、別所治定などが討ち死にして別所方は敗北しました。

この理由は 平井山ノ上付城の構造にあります。数多く残る三木城攻めの付城群の中で最大の規模を誇り、三木城の反対側の谷部に雛壇状の曲輪(くるわ)群を設け、軍勢の駐屯部を確保。秀吉本陣までの経路は急峻な上に狭く、登る途中に段々畑の

閲覧数578 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2014/06/26 13:56
公開範囲外部公開
2014年06月26日(木) 
竹中半兵衛重治は、織田信長が木下秀吉に勧誘を命じ、「三顧の礼」で誘った天才軍師。1579年4月、播磨三木城の包囲(三木合戦)中に病に倒れました。

秀吉は半兵衛の病状を心配して京都で療養させましたが、半兵衛はすでに自らの死期を悟り、武士ならば戦場で死にたいと秀吉に懇願して播磨三木の平井山秀吉本陣に戻り、36歳の若さで陣中にて6月13日に死去しました。死因は肺の病気(肺炎か肺結核)とされています。

半兵衛の墓所は、道路から車一台がなんとか通れる農道の奥、秀吉の平井山本陣の西側山麓に静かに祀られています。

閲覧数580 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2014/06/26 13:39
公開範囲外部公開
2014年06月26日(木) 
三木城は、播磨国美嚢郡三木(兵庫県三木市上の丸町)にあった平山城で、釜山城や別所城とも呼ばれていました。往事は、小寺氏の御着城、三木氏の英賀城と並び播磨三大城と称された名城です。

城塀に囲まれた本丸跡に「今はただうらみもあらじ諸人のいのちにかはる我身とおもへば」と記された長治公辞世の歌碑があります。毎年5月5日には三木城跡を中心に市内各所で長治公を偲び、三木の大恩人として後生に長く語り継ぐための行事として別所公春まつりを開催しています。

神戸電鉄上の丸駅下車徒歩3分。別所長治首塚から徒歩5分。本来の城郭は現在の三木市街地部分も含んでい

閲覧数627 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2014/06/26 13:23
公開範囲外部公開
2014年06月26日(木) 
今回は、紫の上さんが毛利方本拠の広島県呉から秀吉ゆかりの大阪まで移動する間、時間の都合でどうしても立ち寄れなかった三木合戦の地を、命により巡ってきました。

三木合戦とは、1578年5月5日から1580年2月2日かけて行われた織田氏と別所氏の合戦。織田家の武将羽柴秀吉が行った播州征伐のうちの1つで、別所氏は播磨三木城(兵庫県三木市)に篭城しました。この合戦で秀吉が行った兵糧攻めは、三木の干殺しと呼ばれて伝えられています。

三木城には、東播磨一帯から約7500人が集まり篭城しました。この中には、別所氏に同調した国人衆の他に、その家族や浄土真宗の門徒なども

[地図情報有り]
閲覧数793 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2014/06/26 10:36
公開範囲外部公開
2014年06月26日(木) 
兵庫県姫路市の北方、屏風のように連なる山脈の中の一つに広峰山があります。標高は310mとそう高くは無いのですが、古くから聖域として崇められていて、山上には「素盞嗚命(すさのうのみこと)」を主神とする祇園信仰の総本山である「広峯神社」があります。「祇園さん」で名高い「京都八坂神社」は、広峯神社が元宮となって分祀されたもの。姫路から京都までの道中で、神戸の祇園神社や大阪の難波八阪神社、京都の岡崎神社などのような祭神の遷座の旧跡も存在しています。

官兵衛の祖父である黒田重隆は、若い頃は山陽地方随一の商業都市として繁栄していた備前福岡に在住し

[地図情報有り]
閲覧数810 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2014/06/26 10:26
公開範囲外部公開
2014年06月26日(木) 
官兵衛の父・黒田職隆の廟所のある妻鹿から北へ車で15分、国道二号線沿いに小寺氏三代が治めた御着城趾があります。当地にあった標高5メートル程度の丘の名称から「茶臼山城」と呼ばれたり、堀にも利用されていた天川を取って「天川城」と呼ばれていました。

御着城は、城内に山陽道や城下町をとり込んだ惣構えの平城で、赤松氏の一族小寺氏の居城として、1519年に小寺政隆が築城したと言われています。別所氏の三木城、三木氏の英賀城と並び播磨三大城と称されましたが、1579年に羽柴秀吉に攻められ落城して廃城となりました。大河ドラマで片岡鶴太郎が演じている小寺政職(ま

[地図情報有り]
閲覧数844 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2014/06/26 10:25
公開範囲外部公開
2014年06月26日(木) 
大河ドラマでは、柴田恭兵が渋い演技で見事にそのひととなりを再現している官兵衛の父・職隆(もとたか)。君主・小寺政職(まさもと)が家臣の反発を抑え、「小寺」姓と「職」の一字を与えてまで一門に迎えたほど優秀な人物でした。

当主時代には「長屋を建て身分に関わらずに住まわせ、情報・配下を収集した」といわれ、官兵衛有岡城幽閉時には「職隆の命に従うことを誓った書状を家臣から送られ当主を務めた」とあります。また、織田信長に反逆した政職の息子を密かに引き取り養育したなど、官兵衛同様、知略・人望・忠義に関する逸話が残っています。

なによりも人格者で

[地図情報有り]
閲覧数1137 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2014/06/26 10:23
公開範囲外部公開
2014年06月26日(木) 
ちょっと報告が遅れました..m(__)m

広島県呉市に帰省中の千葉・山武SNSの紫の上(小島妃佐子)さんが、時間を作って姫路に来られるということで、3時間半の短い時間ながら、「軍師官兵衛」ゆかりの地(の一部)をぐるりとご案内させて頂きました。案内と言っても、自分も初めて行くところが多く、たいへん良い勉強になりました。

国府山城(こうやまじょう)は、姫路市妻鹿・市川左岸にある標高102mの高さの甲山(功山・国府山とも呼ばれています)にあります。別称が多く、妻鹿城・功山城・甲山城・袴垂城ともいわれています。

初代城主は、薩摩氏長の子孫で「太平記」で有名な妻

[地図情報有り]
閲覧数946 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2014/06/26 10:19
公開範囲外部公開
2014年06月23日(月) 
6月23日は「慰霊の日」。沖縄県民にとって忘れることのできない特別な一日です。本土決戦の捨て石とされた沖縄戦。非戦闘員である一般住民を巻き込み、20万あまりの尊い命と財産、琉球の貴重な文化財や自然をことごとく奪いかりゆしの島を焦土と化した悲惨な戦闘でした。

沖縄戦における20万人を越す戦死者のうち、約半数に近い9万4000人余りの戦死者が、兵隊以外の一般県民や子供でした。この沖縄戦で、沖縄防衛第三十二軍司令官牛島満中将と同参謀長の長勇中将が糸満の摩文仁で自決したのが昭和20年6月23日の未明。日本軍の組織的戦闘が終結した節目として、沖縄慰霊の日が制

閲覧数1372 カテゴリ日記 コメント1 投稿日時2014/06/23 06:08
公開範囲外部公開
2014年06月22日(日) 
おまたせいたしました♪
へっ、待ってませんでしたか?
まあよろしです..(^^)

朝の連続SNSドラマ『みんなが嬉しい街おこしを目指して』は、2014年6月5日の第二十話「まちづくりクーポンプロジェクト発進!」を以て第一部「準備編」を終わり、しばらく取材のためのおやすみを頂いておりました。しかし、来る6月23日(月)よりいよいよ第二部「実践編」がスタートします。

今後ともますますまちづくり活動に役立つドラマとして充実させて参りますので、引き続き応援をよろしくお願いいたします。

なお、第二部のスタートを記念して、SNS連携地域型共同購入クーポンシステ

閲覧数783 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2014/06/22 10:01
公開範囲外部公開
[ 1 2 ]
■プロフィール
こたつねこさん
[一言]
地域を元気にする情報化に貢献したい♪
■この日はどんな日
ほかの[ 09月24日 ]のブログは、
■最近のファイル
■最近のコメント
■最近の書き込み