2019年03月03日(日) 
旅行記もそろそろ大詰めです..(^^)
国道を外れて、車一台がやっと通れるような畑の中の道を徐行で進んだ先に、喜屋武岬(きゃんみさき)の「平和の塔」がありました。

本島最南端のここでは、沖縄戦で米軍に追いつめられ、自決するために身を投げたという悲惨な歴史があります。
喜屋武岬からの風景は180度のパノラマで青い海が広がっていて、水平線が曲がって見えます。地球はやはり丸かったんですね♪(笑)

南部戦跡巡りを終えて喜屋武岬から国道に戻り少し進むと、お目当ての「琉球ガラス村」がありました。
「瑠璃」「ぎやまん」「びいどろ」などと呼ばれていたガラス工芸品は、17世紀に琉球にも伝来しましたが、本格的に作られるようになったのは明治以降のこと。
江戸切子や薩摩切子と比べると、その歴史はずいぶん新しいようです。

戦前に沖縄県下の全域に出荷するまでになっていた沖縄のガラス業界も、1944年10月10日の那覇大空襲で壊滅。
戦後まもない頃は、懐かしいコーラ瓶の底を切り離してコップとして使っていたそうです。戦後の物資不足・プラスティック製品の登場により、ガラス製品が売れない時期が続きました。

米軍人やその家族が、カラフルな現物サンプルや写真を、再興したガラス工房に持ち込んで、日用の器、土産物として注文をするようになりました。
大量の注文に対応するため、軍施設から消費・放棄され出回ったコーラやジュース、ビール、ウイスキーの空き瓶を活用し、5色(透明・薄青・茶・緑・黒)の色ガラスとして新たに復興しました。

ベトナム戦争景気が起こって、米軍人の本国への土産品としての注文が殺到したので、県内に次々とガラス工房が設立されました。

1972年、沖縄の本土復帰 「沖縄海洋博覧会」開催を契機に沖縄観光が本格化します。そして、本土からの観光客へのお土産品として需要を拡大していきます。

着色にもいろいろな技法が取り入れられ、廃瓶に代わり原料ガラスを使用する工房が増えてきて、素晴らしい伝統工芸品がぞくぞくと生まれることになったそうです。

工場に併設された販売フロアには、魅入られてしまうくらい美しい作品がたくさん展示されてまるで博物館みたい。あっという間に時間が過ぎてゆきました。
こちらで購入させてもらったのは、透き通るようなマリンブルーが綺麗な琉球ガラスのボウル。
先輩食器の中で、ひときわ目立っています♪(笑)

閲覧数98 カテゴリ日記 投稿日時2019/03/03 09:46
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